幸せを「貯金する」なんて、不自然じゃない?

暮らしの気付き

皆さんこんにちは!

今年の冬は暖かいですね。
せっかく冬用のブーツを買ったのに、
あまり登場が無くて悲しい…

冬は冬らしくあってほしいと思うひーちゃんです。
さて今日は、先日友人との会話で話題に上がった
ちょびっと幸せ貯金について書きます。

最初は
『え、気持ち悪い……』って思っちゃったこれ(笑)。
深く考えてみます。

幸せを貯金する?「ハッピージャー」を知っていますか?

ちょびっと幸せ貯金・ハッピージャー・Memory Jarとは、
毎日感じたハッピーなことを紙に書いて貯めていく
というシンプルな貯金のこと。

日常のなかで見つけた「小さなしあわせ」を、
メモに書いて貯金箱に入れたり、専用のノートやアプリに記録したりするもの。

例えばこんな感じのこと:

  • 「信号が全部青だった!」
  • 「コンビニの新作スイーツが想像以上に美味しかった」
  • 「道端に可愛い花が咲いてた」

これは
「自分って意外と幸せな時間過ごしてる!」
と気付けるように幸せを可視化するものとのこと。

これの効果はなにかというと…

「幸せの量」が目に見える:
瓶の中に紙が溜まっていくのが見えるので
「今月はこんなに良いことあったんだ!」と実感しやすい。

インテリアになる:
カラフルな付箋やマスキングテープを使い、インテリアとしてお洒落に感じる。

「開封の儀」が楽しみ:
年末の自分の棚卸時期や、落ち込んだ時に、
瓶を開けて読み返すのが、自分を奮い立たせるものになる。

というものらしいのですが、
この話を聞いて、
「怖い時代になったもんだ」
と友人と深いため息をつきました。

幸せ貯金への違和感

私が抱いた違和感は
「これをしなければならないほど幸せを感じられないのか」
という部分。

幸せというものは私の定義で言うと
「今の自分に100%満足できている状態」
なんですよね。

私の定義上、
幸せとはあくまでも「状態」なので
変化するのが当たり前。

そして「感じる」ものなので、
「感じられない時」もある。

「感じられない時」があるから
「感じる時がわかる」もの。

なので、
それは何かが起きたその瞬間に感じるものであり、
家に帰って「今日はどんな良いことがあったのか?」
と紙に書いて無理やり引っ張り出すことは、
本質的な幸せではないと思っています。

その場で幸せを感じたらそれでいいのではないのか?
というのが私の意見です。

しかし、
紙に書き出し、瓶に貯めなければならないほど、
「今幸せ」と感じられない辛い時代なのかな…
と思って、考えされられました。

なぜ今、可視化が必要なのか?

元々海外で始まったカルチャーのようですが、
なぜこんなことが始まったのかの原因を探してみると、
次のようなことがわかってきました。

人はネガティブを優先する

人間の脳は仕組み的に、
ネガティブを優先するようにできているため、
幸せな瞬間のことは忘れてしまう。

これは太古の昔から、
幸せなことを記憶するよりも、
猛獣に襲われかけたなどというネガティブな記憶を優先することで
生き延びてきたため、脳がそういう風にできている。

それが進化した今でも変わらずに続いており
幸せな事は忘れてしまいがちなので、
記憶するためにメモをするとのこと。

大きな幸せのノイズが大きい

SNS社会になり、
自分と同じようなステータスの人がキラキラした日常を送っているのを
簡単に目にするようになりました。

そのため、人の幸せが大きすぎて、
自分の幸せが霞んでしまいがち。

自分のささやかな幸せをメモで可視化することで、
「他の誰かの豪華な日常」ではなく、
「自分の手元にある確かな時間」にピントを合わせ直す。

「確かなもの」が欲しい

今の世の中、
ニュースを見てもSNSを見ても、
変化が激しく心がざわざわすることが多くなりました。

そんな中で、
自分の手で書いたメモが詰まった瓶は、
「自分にはこれだけの良いことが確かにあった」という物理的な証拠
になります。

デジタル優位で情報が多い時代だからこそ、
手触りのある「幸せの証拠」を持つことが幸せにつながる。

人間の脳の癖という話もあれば、
やはり今の時代だからこそと理由もあります。

確かに、そんな荒波の中で必死に泳ぐには
こういう工夫も必要なのかもしれませんね…。

自分だったらどうするのか?

こうして書いていて思うのは、
もしかしたら東京に引き続き住んでいたら、
ちょびっと幸せ貯金をしていたかもしれないということです。

東京時代は忙しすぎて、
空白(当時の自分で言えばムダな時間)が1分もなかったんですよね。

そのため、
幸せとは何なのか?とか考える時間がとにかくない。

基本的に24時間、
夢の仲間でもお店のことで頭をいっぱいにしていました。

自分がやりたくてやっていたお店だったので、
好きなことを出来てよいじゃない!と言われればそうなのですが、
やりたい仕事の中にも、難しいことはたくさんありました。

広い視野で自分を見たら
「好きなことをできていて幸せ」ではあるのですが、
狭い視野で見ると「問題が多すぎてそれどころではない」
というのも現実でした。

そのようにゆとりがなかった場合は、
メモに書いて瓶にいれて幸せを可視化するのは、
心を保つ一つの手段としては有効かもしれませんね。

まとめ

こんなのって不自然で気持ちが悪い!

と書こうと思って書き始めましたが、
文章を書いていると頭が整理されてきて、
結果、予想外の方向に進んでいきました。

個人の意見としては、
このような事をしなくても
「幸せやん!」
と思える人が増える世界が良いと思っています。

しかし、
実際問題それを必要としてしまう時代であることも事実です。

私にできることは、
もしもそういう人と出会った時に、
「紙に書かなくても心満たせることはできるよ!」
と伝えられる人であること。

今の私は、
わざわざ瓶に幸せな出来事を入れなくても、
今治の美しい海を眺めたり、
山を歩いたりするだけで 「あ、幸せ」と感じることができます。

それは今治に移住したことで、
社会的に役立つことを最優先するのではなく、
「余白」を大切に生きられるようになったからです。

これからも自分達なりの豊さや人の幸せを考えて
表現を続けていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう!



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