皆さまこんにちは!
先日発表した通り、
しばらくYouTubeをお休みします。
この時間は、自分たちにもじっくり向き合える貴重な時間。
改めていまばり夫婦の活動の「根っこ」について考えてみたいと思います。
私たちが目指していること
これは動画でもラジオでもブログでも書いています。
見てくれている方が豊かになるコンテンツ作り
を目指しています。
「豊かとは何なのか」を突き詰めると明日になってしまうので、
今回はここには深く触れませんが、
簡単に言うと
「これを見たことで、ちょっと成長したな」
と感じて貰えるということです。
つまり、
何かひとつでも“得るものがあった”と感じてもらえること
を大切にして、発信を続けています。
コンセプト
目指しているコンセプトは
【楽しい×学び】
皆さんは勉強は好きでしたか?
ひーちゃんは自分が興味があることは積極的に学んでいましたが、
理数系とか物理とか、当時は全く意味がわからず、
一ミリも勉強しませんでした。
いま思えば
「もっと若い時に勉強しておけば良かったな」
と思うことはたくさんあります。
でも学生時代は
「わからないことを学ぶこと」自体を楽しいと思えなかった
んですよね。
きっと多くの方も同じではないでしょうか。
楽しくて、しかも学びになる。
それって、最高だと思いませんか?
だから私たちは
「楽しい×学び」をコンセプトにやっていこうと決めました。
「楽しい」とは?
ここからは、
最近ずっと考えていた「楽しい」について深堀りしていきます。
私は辞書で言葉の意味を調べるのではなく、
自分で言葉で再定義することが好きです。
そこでこのブログを書くにあたり、
自分なりに「楽しい」とは何なのか?を考えてみました。
楽しいとは?
・一過性のポジティブな感情
・また味わいたいと思う心
・与えられたものに対して受動的に感じる明るい気持ち
こんなところでしょうか。
ちなみに、今回調べていてハッとしたのですが、
受動的に感じるのが「楽しい」、
自分から能動的に動いて面白さを見出すのが「愉しい」
と書くのですね。 日本語って本当に美しい…。
今のYouTubeで求められているのは、
もしかしたら前者の「楽しい」だけかもしれません。
でも、私たちが目指したいのは、その先にある「愉しい」なんです。
どんな時に感じるのか?
では、人はどんな時に楽しいと感じるのでしょうか?
私なりに考えて
こんな瞬間ではないかと思いました。
・好きなことをしているとき
・好きな人と一緒にいるとき
・知らない経験をして、困難を乗り越えたとき
・誰かの役に立てたと感じたとき
・自分の想定を超えられたとき
これらに共通しているのは、
「ただ与えられている」のではなく、
自分が何かしら関わっているという点です。
楽しいという感情は
ずっと続くものではありません。
「人生が楽しい」と表現することはありますが、
それは
楽しい時間>辛い時間
という状態なのかなと思っています。
一過性のポジティブな感情でだからこそ、
「また味わいたい」と思える。
もし毎日が「楽しい」だけだったら、
そういう言葉自体が生まれないと思っています。
知ってることの方が楽しいと感じる?
さて、ここから本題です。
タイトルの
「私たちの動画はなぜ伸びないのか?」
と「楽しい」を繋げて考えてみます。
私たちは「こんな世界があるんだ」というものを
できる限り届けたいと思っています。
けれど、YouTubeを続けていて感じるのは、
多くの人は
「知らないこと」よりも「知っていること」を観たい傾向がある
ということです。
私たちの動画で、
初めて1万再生を超えた
愛媛県西条市にある「りんりんパークー」の動画も、まさにそうでした。
コメント欄には、
・子どもの頃に行ったことがある
・懐かしい
・昭和の空気を思い出した
という声が多く並んでいました。
この場合の「楽しい」は、
新しい発見による楽しさではなく、
知っていること × 懐かしさ
によって生まれたものだったのだと思います。
なぜ知らないことは楽しめないのか?
なぜ、多くの人は「知らないこと」より「知っていること」を観たいのか。
そこには、現代人が陥っている3つの生存戦略があると考えました。
① 防衛本能
ひとつ目は、防衛本能です。
未知を避け、安全な場所に留まろうとする遺伝子の記憶。
人間は外に狩りに出かけるよりも、
家の中でおとなしくしていたほうが、
猛獣や敵に襲われる可能性は低くなります。
つまり、今生きている人たちの祖先の多くは、
未知を避けること=生き延びる確率を上げる
生き方をしてきたのかなと。
この感覚は、
現代を生きる私たちの中にも、
遺伝子レベルで残っているのではないでしょうか。
知らないことに対して、
楽しいと感じる前に、ほんの少し身構えてしまうのは、
弱さではなく、生き延びてきた証なのだと思っています。
余白がない
二つ目は、余白がないことです。
簡単に言うと、
情報過多で、新しいことを理解する「脳の体力」が限界。
これも結局、生存率に関係してきます。
現代の人は、
人間が本来処理できる情報量を、
はるかに上回る情報に囲まれています。
仕事のこと、ニュース、SNS、通知、動画。
「知っていること」だけでも、
すでに頭はいっぱい。
そんな状態で、
新しい・知らない情報がやってきたとき、
それを理解するためにはエネルギーが必要になります。
考える
整理する
判断する
つまり、疲れてしまう。
脳にとっては、
これ以上エネルギーを使うことは、
生存を脅かすリスクになります。
本当は、
知らないことを知ったほうが
人生が楽しくなる可能性があるかもしれませんし、
昔はそれが「やってみた結果やめよう」
という自身の経験ベースが当たり前でした。
しかし今はネットの普及により、
ちょっとした買い物うや外食ですら
「口コミどうかな?」
と他の経験者の感想を見るだけで判断している。
その口コミを見るのにも、
広告が出ていちいち消さなければならない。
昔はお店に入るだけで完結していたものが、
情報が溢れることにより、
多くのものを処理しなければならなくなりました。
結果、考えながら見なければならない娯楽よりも、
考えずにぼーっと自分の知識を使いながら見れるものの方が
楽しいと感じるようになったのかと思っています。
省エネモード
2番目に書いたのは脳みその省エネなのですが、
肉体的省エネも原因だと思っています。
文明の発達により、
苦労を避けることが「正解」になった。
今の時代って、本当に便利。
桃太郎の話を振り返ってみると、
おじいさんもおばあさんも、ただの家事に何時間もかけていました。
洗濯をするために川まで持っていき、
手と洗濯板で一枚一枚洗い、
また家に戻って干す。
川まで何分かかるのかは分かりませんが、
洗濯だけでも余裕で1時間半はかかるでしょう。
一方、現代はどうでしょうか。
洗濯機に服を入れ、洗剤を入れ、
ボタンを押すだけ。
乾燥まで自動で機械がやってくれる時代になりました。
1時間半かかっていた工程が、
指一本でボタンを押すだけになったのです。
そして、
おじいさんは芝刈りに行きます。
これは火を起こすための燃料を取りに行っているわけで、
それがなければ料理もできません。
今のようにペットボトルやウォーターサーバーもないので、
井戸に水を汲みに行く必要もあったはずです。
野菜も、畑を耕して育てていたことでしょう。
そう考えると、
料理をするだけでも、
膨大な時間と労力が必要だったことが分かります。
それに対して今の時代は、
火はボタンひとつで点き、
水は買うことができ、
食材はスーパーで簡単に手に入ります。
つまり昔は、
ただ毎日生きるだけでも、エネルギーを使わなければ生きていけない時代
でした。
それが文明の発達によって、
自分の体を拡張したものを、お金で買えるようになり、
肉体をほとんど動かさなくても生きられるようになりました。
その結果、
人間の体も脳も、
自分が煩わしい思いをしなくてもいいように、
「できるだけエネルギーを使わない」
省エネモードに最適化されているのだと思います。
そしてそれがもっともっと加速していっている。
だから本当は、
もっと楽しい世界があるかもしれない。
けれど、
エネルギーを使ったり、苦労したりすることよりも、
知っている世界の中で生きるほうが幸せだと感じる人が
多くなっているのかもしれません。
だからこそ私たちが届けたいもの
私なりの仮説を書いてみました。
もちろん、私たちの力不足も大いにありますし、
SNSというもの自体が、興味関心があるところにしか拡散されないので、
そういう時代の流れと言うことも理解しています。
そういう時代なので、
私たちの作るものは、多くの人には届かないかもしれません。
省エネで、分かりやすくて、
何も考えなくても消費できるもののほうが、
今の時代には合っているのだと思います。
それでも私たちは、
省エネではないものの先に「楽しい」があると信じています。
これは私が実際に今治に移住して気が付いたことです。
全く興味がなかった畑を耕すことをやってみた結果、
2年目くらいで売り物のような野菜ができました。
畑を耕すのは、
正直に言って「タイパ」は最悪です(笑)。
でも、手間暇かけて自分の手で育てた野菜を食べた時のあの感覚は、
スーパーで買った時には絶対に味わえないものでした。
少しだけ頭を使い、
少しだけ身体を動かして、
知らない世界に足を踏み入れる。
その先にある「愉しさ」を知ると、世界はもっと広がります。
「見てくれた人の人生が、ちょっとだけ成長する」
そんなコンテンツを目指して、
この休み期間にさらに牙を研いでいこうと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました。

